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ジャストコラム

思い出

最近、戦争を感じさせるニュースを耳にする事が多くなっているせいか、子供の頃に母から聞いた話をよく思い出します。

私が小学校低学年の頃、夏休みを利用して富岡市にある母の実家に1週間ほど遊びに行った時の話です。ある日、町の商店街に買い物に行こうという話になり、母に連れられ歩いて商店街へ向かいました。道中の鏑川に架けられた橋は、見た目にも粗末な木製の橋で、すごく揺れて怖いのを我慢して渡り、坂道を上っていくと目の前に古くて大きな建物が見えてきました。見慣れない様式の建物と敷地の広さに驚き、ここは何かと母に尋ねると、富岡製糸場だと教えてくれました。2年ほど前に世界文化遺産に登録された事で、今では観光地としてにぎわっていますが、その時は操業停止後で、ひっそりとした雰囲気でした。富岡製糸場の外壁に沿って歩いて行くと商店街へと続く道になりますが、母の歩みがゆっくりとなり、昔を懐かしむように思い出話を始めました。

母は国民学校高等科(現在の中学1、2年)に進学した年から終戦までの半年間、学徒動員の場となった富岡製糸場で働いたそうです。何で勉強しないで働くのか?と私の質問に、『戦争当時は男の人が兵隊に取られて労働力不足だったから、小学生の時から農業の手伝いとかずっと働いてきて、それが当たり前だったし、何で?なんて考えた事もないねぇ・・・。だけど、当時も同じ道で工場に通ったけれど、あの揺れる橋を渡っていると上空にB29が飛んで来るのが見えて、それは恐ろしくて揺れる橋を必死に渡って近くの民家に飛び込んだ事が何度もあった、作業中も空襲警報が鳴ることが多くて、富岡製糸場の防空壕には何度も入ったよ』と答えてくれました。母達の仕事は、旧日本軍の落下傘部隊のパラシュートに使う太い糸を生産する事で、軍事目的であることから、空襲を受けるのではないかと毎日不安だったそうです。
ここまでが私の心に強く残っている思い出なのですが、その先の商店街で何を買って何をして遊んだのかはまったく覚えていません。

あの日、何時もは車で行く商店街にわざわざ歩いて行ったのは、私に戦争当時の話を伝えたかったからなのか真意は分かりませんが、この話は母の口から直接、私の子供達へと伝えてもらいました。

群馬営業所 岩佐孝行